Tuesday, March 02, 2010

「消えた潜水艦とたった一人の和平工作」

 『我々は生まれながらにして、先人たちの恩恵にあずかっている。その恩恵に報いることなく死んでいくのは、いわば食い逃げである。』
アーノルド・トインビー

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(中略) 藤村は暗号電を打ち続けた。しかし、満足のいく返事はついに東京から届くことはなかった。
8月6日広島に原爆投下、さらに9日長崎に原爆投下。
スイス時間の8月15日午後(日本時間8月15日未明)。藤村の元に奇跡的に日本から国際電話がつながった。相手は米内海軍大臣先任副官今村了之介。かすれた声が受話器から流れる。
 「藤村、あの話なんとかできんか?」
 「ダレスとの和平交渉ですか?」
その瞬間そばにいたハックが叫んだ。
 「バカヤロー! 百日遅い! 何をしていたんだ!」
藤村は受話器に向かって静かに言った。
 「遅すぎます。私は35本も暗号電を打っているのに。」
無力感だけが藤村の脳裏をかすめた。藤村が3ヶ月の間に打電し続けた暗号電は全部で35本。しかし、藤村の和平工作は花咲くことも実を結ぶこともなくはかなく消えた。まるで大西洋の藻屑と消えたイ52のように。
藤村はやりきれない思いを胸にイタリア国境近くのベルニーナの町に降り立った。鞄の中にはピストル、ポケットには青酸カリ。
思い残すことは何もない。
潔く最期を迎えよう。
そう決意した藤村の眼に映ったものは広大なアルプスの山々、今を盛りに咲く花々、そして碧々と萌える草原…
 『我々は生まれながらにして、先人たちの恩恵にあずかっている。その恩恵に報いることなく死んでいくのは、いわば食い逃げである。』
愛読していたトインビーの歴史書の一節。自分はやるだけのことはやった。これからは祖国の復興のために働き、戦争の犠牲となった人々に恩返しをするべきではないのか…。
1946年(昭和21年)、闇市で汗を流して働く藤村の姿があった。
 「死ぬことから思えば、どうってことない。」
そうつぶやく藤村の姿が…

人類は幾多の戦争を戦い、そのたびに和平を結び、そして現在もまた世界のどこかでそれは繰り返されている。
日本を破滅から救うために藤村の和平工作を仲介したフリードリッヒ・ハックは1949年に、そして藤村は1992年にそれぞれ生涯を閉じた。
ハックは生前こんな言葉を口癖のように語っている。
 「戦争に真の勝利者はいない。」

2000/5/28 放送「消えた潜水艦とたった一人の和平工作」- NTV より引用